狭間児童広場およびその周辺
閉館後、手を加えられる前にどうしてもここだけは訪れたかった。名豊ビル開業と同時に誕生したとすれば、50歳近い動物たち。
前回同様、やっぱり子どものはしゃぐ声は無かった。
平成2年寄贈の街灯。
たくましい生命力。ぜひ次世代の施設内でも、我々にエネルギーを分け与えてほしい。
夕方に見るとちょっと怖い、魚の顔だけの車止め。なんと矢田川にも全く同じものがあるそうです。
かつての豊橋バスターミナルへの入口の1つ。浸食する草が、閉鎖後の年月の経過を示している。
放置自転車ではなく、正式な駐輪場。おびただしい数の自転車から、それだけまだ沢山の人が周りに住んでいるということだろう。
もう1つのバスターミナル入口。固く閉ざされた鉄柵が再び開くことはなかった。
着工が近いことを知らせる看板も。
地下バスターミナルの明かり取り。モザイクタイルで装飾されています。
再開発対象となっている3ビルと狭間児童広場
左から、「開発ビル」・「名豊ビル本館」・「名豊ビル新館」。1968年に豊橋グランドホテル、ハイショップ名豊、豊橋中日文化センターの入る「本館」が先行開業。69年に地下バスターミナル、74年にはホテルの結婚式場や客室を拡張した「新館」が続けて開業。「開発ビル」は当初「サンマートビル」として72年に開業し、長崎屋が出店。わずか6年で撤退後、81年から「開発ビル」の名称が使用されているようです。70年代前半のピーク時には、西武、豊橋丸栄、長崎屋に加え、広小路通りのアピタ(69~97年)、ダイエー(72~98年)、ときわ通りのジャスコ(68~79年)と大型商業施設がひしめき、全国有数の商業激戦区だったようです。今やそのすべてが無くなっています。時代の流れとは恐ろしい…。
なんでもこの児童広場には大昔小学校の校庭があったそう。二宮金次郎の像があるのはそのためか。しかし広場に全く人がいないわけではないが、児童と呼べる年齢の子どもは全く見かけなかった。
バスターミナルの排気塔。
立体駐車場・店内入口跡
入口を入って左手前にエレベータ式駐車場、正面奥に店内入口がありました。自走式でない、駐車場の手狭さが衰退に繋がった気もしないでもない。
2014年が最後の点検日。
正面玄関にまわってみる。
静まり返った駅前大通り。
末期には100均がテナントとして入っていた。
なぜか少しだけ開いたままのシャッター。ひょっとしたらまた開けてくれるのでは?と期待を籠めるも、中から白いパネルでガード済み。
アーケードは解体確定として、地下道はそのまま残るのかな?
名豊ビル地下店内入口跡(駅前大通り側)
名豊ビル本館と開発ビル(右)
開発ビルは解体までまだ時間があるので、改めてじっくり訪れたいと思います。
参考 豊橋西武の歴史 10(2013年2月20日 名古屋⇔豊橋)
参考 「長崎屋」豊橋店(2013年2月28日 名古屋⇔豊橋)
外部リンク 豊橋市バスターミナル 廃止(2006年9月2日 RYOZ Room)…現役当時のバスターミナルおよびその周辺が記録された、廃止直前の大変貴重な写真が掲載されています。
参考 豊橋駅前の「新陳代謝」活発化(2017年4月19日 東日新聞)
参考 豊橋・再開発ビルの立体模型やイメージ図公開(2017年5月7日 東愛知新聞)
外部リンク 2017年4月30日 名豊ビル閉館。半世紀の歴史に幕を下ろしました。(2017年5月1日 豊橋駅前大通地区まちなみデザイン会議)
外部リンク さようなら名豊ビル完全閉館に住民ら別れ 盛大なセレモニー豊響演奏でフィナーレ(2017年5月1日 東日新聞)
※2017年7月8日(一部は2013年9月14日)撮影。