2013年訪問時の名豊ビル・児童広場地下
旧バスターミナル名豊ビル本館連絡口
今は既に入れない、閉館前の名豊ビル地下。往時はここから多くの人が出入りしたであろう、バスターミナルと本館フロアを繋ぐ連絡口です。昔の総合スーパーの地下駐車場に見られた”店内入口”のような雰囲気。この奥は、開業当時「ハイショップ名豊」の食品売り場や、「東横のれん街」を参考に整備された名店街「名豊東西のれん街」がありました。
さらに地下2階へと繋がる従業員通用口。当時のフロアガイドでは、この地下2階は機械室やクリーニング工場となっていたようです。
奥に広がる旧豊橋バスターミナル跡地。閉鎖後しばらく月極駐車場として活用されていた頃。
幻の名鉄豊橋地下駅と浜松延伸構想
驚いたのは、1970年(昭和45年)頃、この名豊ビルの地下に名鉄の駅ホームを設置する構想が存在していたことです。閉館直前に行われたイベント「名豊ビルファイナル謝恩祭」で明されました。ルートは”伊奈駅から独自に線路を引き、最終的には浜松まで至る計画”だったようです。ちょうどJR岐阜駅と名鉄岐阜駅のような位置関係でしょうか。現在の名鉄豊橋駅はJRのホームを間借りしており、線路もJRと共用であるため、延伸は不可能となっています。
タイル張りの丸柱や歩行スペースを仕切る柵が、元は地下駐車場でなく立派なバスターミナルであった証。ここに名鉄の駅が接続していれば、JRとの間で競争が起き、現在でも繋がりの深い豊橋ー浜松間は今の名岐間レベルの運行本数が確保されていたかも…。ただ、対名古屋だけで見ると、仮にこの場所に名鉄豊橋駅が出来ていたとしても、JR岐阜駅よりも中心部に近かった名鉄岐阜駅直結の新岐阜百貨店の閉店(2005年)という前例があるだけに、名豊ビルや周辺に存在した数々の大型商業施設の行く末が良い方向に変わっていたかどうかは何とも言い難いところです。それにしても浜松駅前はあれだけ繁華街が立派なのに、如何せんJRが不便すぎです。
すでに時を刻むのを終えたアナログ時計。撮影時(2013年9月)は、バスターミナルの閉鎖からちょうど7年が経過。
往時は名鉄バス・遠鉄バス・豊鉄バスの3社が乗り入れ、5つの乗り場から計22路線が運行されていました。乗り場案内番号もまだ残されたまま。
当時の名豊ビルの繁栄ぶりを思わせる注意書き。
大きくカーブを描いたバスのりば兼転回スペースに駐車する車が非日常的。
この奥にも、隣接する児童広場への出口が眠っていましたが、既に閉鎖済み。
ターミナル中央部にある明かり取りから差し込む、地上の児童広場からの光。
ピクトグラムも英語表記もない、手書きの「お手洗」。
管理室兼事務所跡
末期はさらにきっぷうりばも兼ねていたようです。
管理室横の出札案内所跡
当時の案内図から、この場所に出札案内所があったようです。既に壁が取っ払われています。
トイレのような一部タイル張りの空間。横に用途不明の扉が。
左手前が旧きっぷうりば兼売店跡。奥へ進むと名豊ビル新館の連絡口に至る。
名豊ビル新館連絡口
右は喫茶店跡、左は不明。いずれもバスターミナルと運命共同体。新館ができるまでは、ここに待合室があったようです。
地下駐車場といえど、現役の施設にしてはやたら天井の傷みが激しく、煙感知器も垂れ下がっており、さながら廃墟の中にいるような感覚。
外部リンク 懐かしの豊橋バスターミナル(2016年2月23日 超快速やまや様のブログ)
外部リンク 豊橋バスターミナルと名豊ビル(2016年2月25日 超快速やまや様のブログ)…当時のターミナルの案内図が掲載されています。
外部リンク スタンディング・オン・ザ・TBT(2014年6月21日 MARUKA-DO様 まるかど日記)…バスターミナルの売店の現役当時の大変貴重な写真が掲載されています。
外部リンク 豊橋市バスターミナル 廃止(2006年9月2日 RYOZ Room)…現役当時のバスターミナルおよびその周辺が記録された、廃止直前の大変貴重な写真が掲載されています。
外部リンク プチタイムスリップ、昔の名豊ビルチラシ・新聞記事で昭和の豊橋へ(2017年4月25日 愛知豊橋・長坂なおと市議のblog)…「名豊ビルファイナル謝恩祭」にて展示された、ハイショップ名豊開業当時のチラシやフロアガイドなどの貴重な写真が掲載されています。
参考 豊橋駅前の「新陳代謝」活発化(2017年4月19日 東日新聞)
参考 豊橋・再開発ビルの立体模型やイメージ図公開(2017年5月7日 東愛知新聞)
外部リンク 2017年4月30日 名豊ビル閉館。半世紀の歴史に幕を下ろしました。(2017年5月1日 豊橋駅前大通地区まちなみデザイン会議)
外部リンク さようなら名豊ビル完全閉館に住民ら別れ 盛大なセレモニー豊響演奏でフィナーレ(2017年5月1日 東日新聞)
※2013年9月14日撮影。