岐阜駅前では、岐阜市のシンボルタワーとなった「岐阜シティー・タワー43」の完成を皮切りに、駅前広場の再整備や大型再開発が相次いでいます。かつて大型商業施設がひしめきあった岐阜駅前や中心部の柳ケ瀬地区は、郊外型モールや名古屋都心部への買い物客の流出により、空洞化が深刻な問題となっています。行政は、まずは大型マンションの建設で駅前人口を増やし、同時に商業機能や福祉施設を紐付けることで街の活性化に繋げる狙いですが、今回は個々の再開発のみならず、商店街の現状と近年行われている新たな活動について触れてみました。
岐阜駅前で4ヶ所目となる再開発が進行中!(2018年3月17日撮影)
進行中の岐阜駅東地区市街地再開発
岐阜駅前における新たなにぎわい創出と、まちなか居住の促進、超高齢社会へのニーズに対応すべく、JR岐阜駅の駅前広場東側(約0.5ヘクタール)で行われている再開発プロジェクト。 大岐阜ビル(2005年竣工)、岐阜シティー・タワー43(2007年竣工)、ザ・ライオンズ一条タワー岐阜(2012年竣工)に続いて、岐阜駅前では4か所目の再開発となります。
建物詳細
現地掲載 岐阜イーストライジング24 イメージパース
↓再開発ビルのさらに詳しいスペックは、公式サイトをご覧ください。
青いパネルで覆われた、低層部の商業施設部分。どんなテナントが入るかはまだわかりませんが、駅前からの人の流れが駅前地区東側にも波及することが期待されます。
JR岐阜駅までデッキで直結!
「岐阜イーストライジング24」からJR岐阜駅の2階コンコースまでは、全天候型の歩行者用デッキを整備。雨の日でも傘を差さずにアクセスでき、高齢者にも優しい設計です。
高架の壁に穴を開けて、デッキを接続させます。上下移動にはエレベーターも完備。
JR岐阜駅前では、駅前広場の再整備に合わせ、周辺地区と駅を結ぶ歩行者動線を2階レベルに集約し、地上に交通広場を整備することで、広場を横断する歩行者とバスやタクシーとの交錯が無くなり、利便性・安全性が大幅に向上しました。
また、周辺の再開発ビルはすべてデッキで接続され、JR岐阜駅から周辺地区へのアクセスも格段に向上。
名鉄岐阜駅
名鉄の路面電車が廃止されてから、早13年。駅に直結していたデパートも今は存在しませんが、岐阜駅前が人々の結節点であることに変わりはありません。
長良橋通り(国道256号)より南、名鉄・JR岐阜駅方面
かつて路面電車が走っていた通り。東西に広い再開発ビルは、存在感抜群。駅前はこのように新しい建物が次々に建ち、目まぐるしく景観が変わってきていますが、一方で中心部でも大きな動きが出ています。
岐阜センサが完全に無くなる(2018年3月25日撮影)
柳ケ瀬レンガ通り
かつての総合スーパー「グランドタマコシ」が当地に二館体制で開業した岐阜店(北館・南館・1965年開業)のうち、1980年に南館から業態転換したファッションビル「岐阜センサ」と、1987年に北館から業態転換した「岐阜センサ2」の両建物が解体されました。2006年まで新岐阜に存在した「岐阜パルコ」も、名古屋パルコより早い1976年に開業。駅前に大規模な繊維問屋街を擁する当時の岐阜は、”ファッションの聖地”としてブームの先端を走り、この柳ケ瀬地区もまた、若者文化の発信地として名を馳せていました。
ところが、当時、総合スーパーやホームセンターなどと共に「センサ」を運営していた「グランドタマコシ」は、事業多角化の失敗と、大規模小売店舗法の規制緩和の煽りを受け、2004年2月に民事再生法を申請して経営破綻。「岐阜センサ」「岐阜センサ2」も同年8月に閉店となりました。
閉店後、長年建物は放置されたままとなっていましたが、隣接する一部のビルと共に2017年より解体が始まりました。
跡地は当面コインパーキング?
解体面積は約2,200平方メートル。跡地は京都のコインパーキング会社が取得しており、地元住民にも当面はコインパーキングとしての活用が伝えられているようです。
長良橋通沿いの「弁天堂」はそのまま残る方針。レンガ通りの入口付近には「弁天堂」以外にも建物が密集していましたが、奥に広がる敷地の大半は「センサ」が占めていました。
通りそのものが廃止されたわけではないので、店の並びが途中でぶった切られた状態に。商店街の手前にこれだけの空き地が発生すれば、表通りからの人の流入にも悪影響が及びかねません。空き地の早期な高度活用が望まれます。
柳ケ瀬地区のシンボル「アクアージュ柳ケ瀬」
柳ケ瀬地区の地下には、その昔、織田信長の天下統一の頃より長良川から農業用水として取水した幹線水路が多数流れていました。高度経済成長期に入ると農業用水から生活排水路へと役割を変え、やがて多数のビル建設で水面にも蓋が敷かれ、日も当たらなくなってしまいます。暗渠と化していた水路の一部を、平成初期~中盤にかけて復元し、憩いの空間として再整備されたのが、この「アクアージュ柳ケ瀬」(「忠節用水」が古来の正式名称)です。
長良川の水脈を利用した噴水(跡)
かつての柳ヶ瀬商店街地区の振興計画では「ヤングファッションゾーン」として位置づけられてきた「アクアージュ柳ケ瀬」は、イタリアのパサージュ(路地)をイメージし、街区毎に古代・中世・近世とその時代を表現するためのモニュメントが多数配置されていました。
旧センサ裏を抜ける「アクアージュ柳ケ瀬」
JR岐阜駅から北に伸びる岐阜市街のメイン通り「長良橋通り」から西に入り、旧センサの裏を抜けて、岐阜高島屋まで至る遊歩道。一枚一枚丁寧に敷き詰められた鮮やかなブルーが涼やかな印象。
かつての農業用水が、現在に至るまで生活に密着していた様子がうかがえる。
職人技はこんなところにも。
資料によれば、「アクアージュ柳ケ瀬」は平成8年に完成したそうですが、このモニュメントを見る限りでは、旧センサ裏の区間は先行して完成していたんでしょうか。
アクアージュ柳ケ瀬沿いにある現役映画館
1977年に完成し、現在もフイルムによる上映が行われている「ロイヤル劇場」。
そんなレトロな映画館擁する「ロイヤル劇場ビル」が、2017年に大きく生まれ変わりました。(後述)
別日に訪れたときの写真。この日はアクアージュ東側入口(長良橋通り)の「山本ビル」の解体工事により、通路の通り抜けができなくなっていました。
少し高島屋へ向かって歩いて行くと、透き通った水面に悠々と鯉が泳ぐ。濁りはなく、本当に綺麗な水なんです。
最もイタリアっぽい雰囲気の残る「劇場通り」側入口
このあたりは暗渠となっており水路は見えませんが、傍らに設けられた井戸がその存在を示してくれます。
柳ケ瀬も決して立ち止まってはいない
旧長崎屋岐阜店
柳ヶ瀬には少しずつ明るい兆しも見えてきています。かつて柳ヶ瀬地区のど真ん中に立地していた「長崎屋岐阜店」は、2002年2月に閉店した後、今なお建物は現存。しかもイベント時には内部も含め活用されているというので驚き。旧長崎屋店舗の活用法でよくありがちなのは、親会社の「ドン・キホーテ」がドンキの屋号で再出店するケースですが、すぐ近くの岐阜メルサ跡地に先に出店してしまいましたので、商圏が丸被りになってしまいます。(旧長崎屋と旧岐阜メルサの建物は直線距離で50メートル余りしか離れていない)逆に言えば、それだけ大型店がひしめき合っていても商売が成り立っていたのが、過去の柳ヶ瀬なんですね。
現在の日ノ出町通り。アーケードのリニューアルにより、長崎屋の広場に面した箇所は採光に配慮して切り欠き部分ができています。
よーく見ると「Nagasakiya」のロゴが浮き出て見える。
1975年開業の建物(地上7階・地下1階)は、外壁に痛みが見られるものの、昭和の香り漂うスーパーファンにはたまらない案件でしょう。
後継者不足により空洞化が進んでしまった現在の柳ヶ瀬には、地区全体での集客に向けた課題もある中で、個々の建物の補修は急務といえど簡単なことではありません。今、前に進もうとされている方々を支えるために、まずは新たな柳ヶ瀬の魅力を広め、一人でも多くの人に柳ヶ瀬に来てもらい、”柳ヶ瀬リピーター”を増やすことが重要です。
夜空カフェの開催
毎月第一金曜日の19時からは、この旧長崎屋の建物を活用した「夜空カフェ」なるイベントが開催されているようで、なんと1階フロア内部(一部)も出店会場として解放されているようです。クリエイターさんの作品に触れながら、当時の長崎屋の栄光を偲ぶ数少ない機会です。また、入口前の広場ではステージ開設によるライブなどパフォーマンスも開催。新しいビルに限らず、こういうレトロなスーパーも好きなのでますます行きたい…。(せめて土曜日開催なら…)
2018年で6年目でしょうか?ボランティアから生まれた街おこしイベントの様子が随時発信されています。特に若い方に多く支えられているように見受けられますが、まちづくりには欠かせない大きな力となっていることでしょう。
以下、一部を除いて2018年5月13日撮影
ロイヤル劇場ビル
そしてこちらは長崎屋の建物のすぐ向かいに立地する、貴重な「フイルム映画館」。かつてはテナントの相次ぐ撤退で空洞化が目立っていましたが、有志の方々が力を結集し、同ビルを中心に周辺商店街で開催される屋外マーケット「サンデー ビルヂング マーケット」を定期開催。また、ビル開業40周年を迎える2017年には、レトロさを生かしたリノベーション企画「ロイヤル40(ヨンマル)」の実施により、映画館としての役割も持ちつつ、こだわりの生活スタイルを提案するファッションビルに。1階のリノベーションした区画に5店舗が出店、2階の一角もワークショップやアトリエとして生まれ変わっています。
↑毎月第三日曜日に開催中!「アーケードやレトロな空きビル、商店街を使った、新しいマーケット」
↑2018年5月現在、次回テナント募集時期は未定です。
四角商店(上段)/アトリエ・ワークショップ(中段)/松ノ屋(下段手前)
四角商店では、味のある本格的なアンティーク家具やDIY素材などを販売されており、名古屋都心やモールで見られるアンティーク専門店とはまた違った品揃えが、訪れる人を魅了することでしょう。2階のアトリエ・ワークショップへは、ロイヤルビルの中からエスカレーターで上がれますが、1階入口から螺旋階段でも繋がる面白い構造です。松ノ屋は、2016年に閉店した地元長良の老舗和菓子店「松乃屋」の味を受け継ぎ、4代目店主と老舗和菓子店「ツバメヤ」との協力により、さらに磨きのかかった名物”もなかアイス”と、新メニューの”やながせアイス”を生み出した、地元の絆が大変感じられるお店です。
アイスクリーム 松ノ屋 公式サイト(ツバメヤ柳ヶ瀬本店 隣)
↑ツバメヤは、大名古屋ビルヂング1階にも出店している、名物のわらびもちやどら焼きなどが有名な大変人気のお店です。
ロイヤルビルの北側正面入口に回ると、レトロな映画館らしさも健在。
店舗区画はリノベーションされていますが、通路などビルの基本的な雰囲気は当時のまま。
フロア案内はあえて当時のままにしてあるのでしょうか。名古屋の「栄町ビル」あたりにありそうなエレベーター案内の昭和っぽさがたまりません。
せっかくなので私も小休憩。ビル自体は相当年季が入っていますが、お店の中は小奇麗で古さを感じさせません。客席もかなり広いです。
お店に入ったのは確か16時ぐらいでしたが、まだランチメニューが注文できました。なんと17時までランチタイムが続くそうです。手作りのエビフライカレーのサラダセットで700円(大盛り無料)。地元の方々の憩いの場になっているようで、先客も結構いらっしゃいました。アーケードに向けたカウンター席が人気のようです。
日ノ出町通りを見下ろせる「コメディアン」(2階)
2014年10月に柳ヶ瀬日ノ出町通り商店街のアーケードがリニューアル
2018年3月25日(日)の柳ヶ瀬日ノ出町通り
同じ地点の写真です。右にあったパチンコ屋もなくなり、全体的にスッキリした印象でかなり雰囲気が変わりました。
前進し始めた柳ケ瀬地区の起爆剤になりうるか(2018年3月17日撮影)
高島屋南地区市街地再開発予定地(左)と劇場通り
再開発プロジェクトは駅前ばかりでなく、柳ケ瀬地区にも古くから存在していました。岐阜高島屋の南側に位置する同地区は、柳ケ瀬が戦後、中部地区を代表する繁華街として発展を遂げた頃に建てられた商店が密集しており、老朽化した建物の不燃化、耐震性の向上といった防災の観点からも、地区の高度利用が求められてきました。1988年にまちづくり構想が浮上し、2002年の準備組合設立を経て、2011年に都市計画が決定。早ければ2018年にも既存建物の解体等が行われる予定であり、実に30年越しの着工が見えてきました。
建物詳細
↑2018年5月現在、建物の規模と導入される大枠の機能のみ決まっている段階ですが、デザイン等は今後変更となる可能性があります。
再開発予定地では、「高島屋南商店街」が区画を東西に分けています。
岐阜高島屋
「株式会社岐阜髙島屋」の運営で1977年9月に開店。95年に直営化されましたが、2004年に再び分社化されました。
柳ヶ瀬のメイン通り「柳ヶ瀬本通り商店街」
おまけ
岐阜バスが導入したベンツ製連接バス
名鉄の路面電車(岐阜市内線)が廃止されたことにより、岐阜駅前から柳ヶ瀬までの移動手段はバスがメインとなりました。写真の連接バスも、土日には岐阜駅を起点に柳ヶ瀬を経由する循環バスに充当されています(ただし1日4本)。しかし、名鉄岐阜駅から柳ヶ瀬までは歩いて700mほどの距離がある中、名鉄岐阜駅・JR岐阜駅から柳ヶ瀬までのバス移動に関して、視覚誘導がもう少し単純明快であれば、柳ヶ瀬を訪れる人ももっと増えるのではないかと思います。
出典・参考・外部リンク
※当記事の写真は、2009年2月8日、2018年3月17日、3月25日、5月13日に撮影。