東京・秋葉原にほど近いJR中央快速線(神田~御茶ノ水間)の高架は、1912(明治45)年に完成した赤レンガ造りの高架橋。そこに古くから眠り続けていた「旧万世橋駅」の遺構を活用した商業施設「mAAchi ecute(マーチエキュート)神田万世橋」が2013年9月に完成。普通のエキナカとは一風変わった、歴史に触れるミュージアムのような装いに惹かれ、今回初めて訪ねてみました。
唯一、駅の跡地に誕生した"エキナカ”
新たなコンセプトでの出店
「mAAchi ecute(マーチエキュート)神田万世橋」は、JR東日本のグループ会社が手掛ける通常のエキナカブランド「ecute」とは差別化され、役目を終えた万世橋駅とその歴史を現世によみがえらせ、嗜好性の高い店舗とともに新たな文化の発信拠点となるよう整備された、新しいコンセプトの”エキナカ”ブランドとされています。
旧交通博物館跡地
かつてこの高架に沿ってへばりつくように建っていた交通博物館は、さいたま市への移転に伴い2005年に閉館・解体されました。交通博物館は1936(昭和11)年に旧万世橋駅舎の基礎を利用して建設されたため、当時より駅のホームから博物館への連絡通路がありました。(後述) 現在は博物館跡地の一部に「JR神田万世橋ビル」(右奥)が建設され、高架に沿ってオープンカフェが整備されています。
高架の意匠をそのまま活用
「旧万世橋駅」は、中央本線(当時)が1919(大正8)年に東京駅へ延伸するまで終着駅としての役目を担っていました。そのため、現在は留置線として活用されているスペースも当時はターミナル駅としてのホームが存在しており、現在に至るまでその広々とした高架橋がそのまま残されています。上の地図では、手前の「JR神田万世橋ビル」側に現役の中央快速線の線路があり、反対の神田川側に留置線があります。当時から変わらぬ高架の形状をそのまま活用した当施設は、橋脚で仕切られたコーナーごとに店舗が配置されており、3箇所で南北を行き来できるようになっています。
「旧万世橋駅」の駅舎は、東京駅駅舎を手がけた辰野金吾が、東京駅よりも前に設計した非常に文化的価値の高い駅舎でした。1936(昭和11)年の鉄道博物館(当時)の開業によりその大部分が消滅してしまいましたが、現在の高架には、当時の駅舎意匠の名残であるレンガ造りの橋脚を今でも目にすることができます。そして右下の穴に目をやると…
遺構サークル
地中に保存された交通博物館のコンクリート基礎と、旧万世橋駅舎のレンガ基礎を見ることができます。
夜はノスタルジックは雰囲気に。あまり主張しすぎない、無地の自然石によるタイル舗装が、高架橋のレンガをより引き立てます。側溝はタイル舗装と一体化した化粧舗装により、景観にも配慮しています。弧を描いた長細いタイルを加えることで、規則的なタイル張りで整然としすぎないように雰囲気に柔らかさを持たせています。
各店舗区画は、改修工事にあたりコンクリートで内側から補強されています。また、店舗内部にも、壁のレンガがそのまま利用されているところがあります。
まるでトンネルの中がそのまま店舗に…。そこには普段あまり見かけることのない、非日常的な空間が広がっています。
旧万世橋駅遺構へ
エキュート整備にあたり、旧万世橋駅のプラットホーム・階段の遺構が70年ぶりに一般解放されています。
1935階段入口
高架橋には、旧万世橋駅ホームへ上がる階段が2箇所あります。1箇所はこの「1935階段」。
その名のとおり、後の1936年に鉄道博物館(のちの交通博物館)が開業するのに合わせて設置された階段。こちらは大胆な補修は行わず、当時の原型を最大限に保ったまま、慎重に修復が行われました。
中に入ると、足下から照らす照明が奥へと引き寄せる。
壁のタイルも当時のもの。
ホームへと続く階段。階段の踏面はコンクリート仕上げになっています。
遺構内は柔らかな明かりとジャズの音色に包まれ、非日常的なムードに浸ることができます。個人的には昼より夜のほうがおすすめ。
そしていよいよ中央線と同じ高さまで上ってきました。
旧万世橋駅ホーム跡(2013プラットホーム)
当時の面影を残しつつ、訪れる人が親しみやすいようフリースペースとしてデッキが設置された旧ホーム跡。一般公開から3年が経過(訪問時)しているため、床に張られていた芝生は剥げてしまっています。ここでの三脚使用の撮影やフラッシュ撮影は、電車の運行に支障を来すため、禁止されています。
さらに奥へ進むと、電車を肴にお酒が楽しめるカフェ・バー「N3331」があります。高架橋のプラットホーム跡にあるカフェは、全国探してもおそらくここだけだと思います。
旧万世橋駅ホーム跡(2013プラットホーム)
明るい時間の様子はこんな感じ。あいにくの曇り空でしたが、晴れていればもっと綺麗な写真が撮れたと思います。
本当にすぐそばに線路があります。電車メインで来られる方は昼間の方がいいかもしれません。
遺構の見所はまだある!
1912階段入口
さらに遺構にはもう一つ階段があります。先ほどの「1935階段」よりさらに古いこちらの「1912階段」は、駅開業当初に設置されたもの。1936年の鉄道博物館(当時)開業後、「1935階段」に役目を譲った後は駅から博物館への「特別来館口」としても利用されていました。
こちらの階段では、壁面のタイル仕上げに覆輪目地(ふくりんめじ)と呼ばれる特別な工法が用いられています。タイルとタイルの間の目地が"かまぼこ”のようにわずかに盛り上がっており、タイルの縁をより目立たせるほか、建物全体に柔らかな印象を与える効果があります。この工法は、東京駅駅舎の壁面にも採用されていますが、後から設置された「1935階段」には採用されていません。
【参考】February 2013:特集「人と振り返る5年半 ~東京駅丸の内駅舎保存・復原工事~(鹿島建設公式サイトより)
階段の踏面は「1935階段」のようなコンクリートでなく、重厚な花崗岩・稲田石を削り出したものが使われています。現代の花崗岩は、再開発においても歩道の整備などで非常によく使われていますが、100年以上前から既に職人の手によって加工されていたのが分かります。しかし、当時の花崗岩は現代と違い、まだ簡単には手に入らない貴重なものだったのかもしれません。
再び2013プラットホームへ。手前側にカフェがありますが、「1935階段」よりこの階段のほうがカフェに近い位置にあります。
小洒落た風景だけじゃない
エキュート神田万世橋のすぐ隣、同じ高架下の中央通り沿いでは、昔ながらの店舗も営業を続ける。
店主の心意気か、なんと電車でGO!をプレイできるマスコンとモニターが設置されていました。壁には旧万世橋駅の写真が飾られています。万世橋から交通博物館は無くなりましたが、世代を超えて今でも深く鉄道が愛され、街にしっかり根付いていることを実感しました。
【外部リンク】マーチエキュート神田万世橋とは(マーチエキュート神田万世橋公式サイト)
※すべて2016年10月8~9日撮影。