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在名百貨店”4M1T"の一員を成し、名古屋の中心である栄の地で長らく歴史を築いてきた老舗百貨店の「丸栄本館」が、2018年6月30日をもって75年の歴史に幕を下ろしました。当地では興和グループ主導による再開発構想があり、ひとまず建物は解体されますが、最後に栄の街並みを代表する一つの顔として親しまれてきた、その時代の終焉を、僭越ながら記録として残したいと思います。また、店内での撮影およびブログへの写真掲載にあたり、株式会社丸榮 総務部様に特別に許可をいただきましたことを、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

 

 

 丸栄のルーツ

法人としての「丸栄」は、名古屋で創業した旧百貨店「十一屋」と、京都の旧百貨店「丸物」が名古屋へ進出するのを機に、別会社として設立した旧百貨店「三星」が、戦時中の1943(昭和18)年に合併して誕生しました。

 

 

 

 1953~1984年にかけて3度の増築を行った「丸栄本館」

当初3階建てだった旧「三星」の建物を3度増築して現在の姿となり、丸物の社長と旧知の仲であった建築家「村野藤吾」が設計を手掛けたことにより、百貨店建築で初めて「日本建築学会賞」を受賞した建物でもありました。

 

 

「丸栄本館」外観に込められた遊び心

遠目で見ると、おなじみ縦格子を主体とした外観がモダンな印象を受けますが、近くで見ると非常に細かな仕掛けが随所に見られます。このデザインは、増築前の旧「三星」を継承したもので、搭屋部分に至るまで、連続したリズミカルなファザードが特徴的です。北側壁面に設置された「MARUEI」の縦型看板の上にあるものは、”鳥”をあしらったモニュメントだそうです。(中段左側)よく見ると看板自体もただの縦長ではなく、中央部が窄まったスタイリッシュなデザインです。

 

 

 

外壁を拡大。コンクリート壁には薄紫色の「カラコンモザイク」と呼ばれるタイルが張られています。これは当時の伊奈製陶(現在のLIXILグループ)のヒット作とのこと。このタイルの色は「鳩羽色」とも呼ばれています。…なるほど。看板上のモニュメントがなぜ”鳥”なのか。ここで繋がりました。そして窓の部分はタイルのデザインと連続性を持たせており、一見”ガラスブロック”に見えますが、1枚の縦長のすりガラスの表面に、重ねて格子状に模様を付けた独特の演出です。

 

 

 

 隅切りされた北西角と「モザイク画」

本館のデザインを語るに欠かせない、村野氏が手掛けたとされる西側壁面のモザイク画。

 

 

 

深緑や紫など、数種類の色の小口タイルとガラスブロックのみを使用し、タイルの向きや目地の間隔を変えることでここまで多彩な表現ができるのはまさに神業。ただし何を表現しているのかは、完成当時の村野氏本人でもわからないほど。永遠の謎を残したまま、役目を終えるのもまた神秘的と言えるでしょう。緑のタイルは、京都にある「大佛」という会社が製造している、通称「大仏タイル」。その他のタイルは、現在の知多郡阿久比町に生まれ、京都や常滑で陶磁器の修業を積んだ池田泰山(1891~1950)の作品である泰山タイル」が採用されています。泰山タイルを製造していた「泰山製陶所」は、1917年に京都で設立され、後に瀬戸市へ移転。現在は製造されていない、希少価値の高いタイルです。

現代に生きるタイル前編 京阪神に息づく、タイルのある風景 (京都造形芸術大 webマガジン「アネモメトリ」)

↑冒頭の紹介にある大阪「綿業会館」は、村野藤吾の設計。この会館の内装にもまた、「泰山タイル」が使われています。

 

名古屋&多治見の旅2018【名古屋近代建築観察会その二・丸栄百貨店】 (m's diary)

↑通常入れない、昼間の丸栄本館屋上やバックヤードなどの大変貴重な写真が掲載されています。

 

大仏タイルのいろどり (株式会社大佛 公式サイト)

 

 

本館の周りを歩いてみる

 西玄関

西玄関付近には、地下食品売り場やサカエチカへ繋がる連絡階段が併設されていました。

 

 

 

集客力低迷の打開策として、2016年3月~2018年2月までは、本館内に大型総合免税店「ラオックス名古屋丸栄店」が、また同時期の2016年3月~2018年1月までは、紳士服専門店「サカゼン」も出店していましたが、いずれも2年足らずの短命に終わりました。

 

 

 

ショーウィンドウの手前には、地下にある機械室の明かり取りがありましたが、いつの間にかセメントで塗り固められてしまいました。

 

 

 

 東玄関

 

1階外周部の壁や柱に用いられているのは、埼玉県産の「蛇紋岩」。その高級感を醸し出しながらもクールな色合いは、柔らかな印象を与えるモザイク壁面や看板モニュメントとは対照的です。この東玄関頭上の金色の梁も、増築当時からのものだそう。

 

 

 

 

1998年、当時400年の歴史を刻んてきた地元「栄町商店街」は、パリを代表する高級ブランドストリート「アベニュー・モンテーニュ」と姉妹提携に成功しました。モンテーニュは既に東京・銀座と姉妹提携を結んでいたことから、当初は提携が難航していましたが、名古屋を中心とした歴史や文化の熱烈なアピールを続けたことが結果的に功を奏しました。栄町商店街の理事に名を連ねる三菱UFJ銀行は2021年に広小路通り沿いの自社ビルを、松坂屋は栄交差点で2020年を目途に再開発構想を打ち出しており、商店街は次のステージへと舵を切りつつあります。現在も一企業として参加を続ける丸栄も、本館跡地の利用策にモンテーニュから得られたヒントを取り入れることが期待されます。

 

 

 

末期の本館フロア内部。

 

 

 

 伊勢町通り

伊勢町通りと広小路通りの本館前にある石畳もまた歴史を感じさせます。伊勢町通りは、歩道が車道側に向かってかなり傾斜しているのがわかります。

 

 

 

こちらの壁一面にも「蛇紋岩」が採用されています。

 

 

 

かつて伊勢町通りをまたいでスカイル館と連絡デッキで接続していました。

 

 

 

 広小路通りより見た伊勢町通り

MEMO
↓デッキ撤去前・撤去工事中の写真はこちら
栄界隈丸栄本館・スカイル連絡通路撤去工事
2015.8.13
丸栄本館とスカイル館(旧丸栄スカイル)を結ぶ連絡通路の撤去工事がほぼ完了しました。 両ビルは5階フロアと8階フロアで行き来ができるようになっていましたが、通路の老朽化に伴い撤去工事が進められてきました。今回の工事は丸栄本館の再開発を目論んだものとも言えそうですが、スカイル館に関しては今後どうなってい...

 

 

サカエチカ・丸栄本館・栄町ビル連絡通路

1999年完成のステンドグラス「木漏れ日」

サカエチカ西通路の端にある連絡通路。丸栄のフロアマップでは「サカエチカ連絡口」と記載されている箇所です。クリスタル広場から西へ向かって進んでいくと、突き当たりの壁面に丸栄のロゴマークの入ったステンドグラスが目に入るため、非常にわかりやすい立地であったと言えます。下段は、丸栄側から栄町ビル入口を写したところ。

 

 

 

こちらは栄町ビル側から見た丸栄入口。下記サイトに、栄町ビル完成当時のほぼ同じアングルの写真が掲載されていますが、当時はステンドグラスはなく、サカエチカとも接続していなかったようです。栄町ビルの開業は1964(昭和39)年。サカエチカの開業は1969(昭和44)年。元々は広小路通りを挟んで向かい合う丸栄本館と栄町ビルを行き来する地下通路として整備され、後からサカエチカと繋がったんですね。

丸栄の歴史 (株式会社丸榮 公式サイト)

 

 

 

現地掲載 クリスタル広場に掲示された、丸栄の歴史を紹介するパネルより

ステンドグラスになる前の姿を見つけました。元はこんなド派手な電光板だったんですね。笑 電光板はサカエチカの開業と同時に設置されたようです。

 

 

 

紫のアナログ時計は昔と変わらず!半世紀たった今も現役です。壁タイルも、現在とは並べ方が異なります。

 

 

 

 丸栄本館 サカエチカ連絡口 エスカレーター(三菱製)

通称「全照明型」と呼ばれる、手すり部分の側面全体が光るタイプ。1950年代に初めて生産されたもので、省エネ・スタイリッシュな現代のエスカレーターと比べると、かなり希少な存在に。前述「丸栄の歴史」の写真を見ても、通路完成当時からあるエスカレーターとみられます。現在の通路の壁タイルは、縦方向に並べられた玉虫色のタイルです。

 

 

 

天井に張られたガラス(これは後から設置されたもの)が、天井の低い昔ながらの地下通路の圧迫感を軽減しています。

 

 

 

リニューアルにより撤去が迫る、昭和の「サカエチカ」フォント。

 

 

7階 エレベーターホール

本館の中でも有名な、昭和の美人画家「東郷青児」がデザインしたエレベーターの扉。全階統一されたデザインです。その周りを彩る大理石は、階によって種類が異なり、1階エレベーターホールではフランス産の「ルージュ・ド・ヴィトロール」という種類のものが採用されているそうです。(写真の7階ホールは種類不明)残念ながら長らく運転停止状態となっており、隣にある更新済みの2基のみ動いている状態でした。村野藤吾が手掛ける建物の内装には、東郷氏によるデザインが積極的に起用されていたそうです。

 

 

 

丸栄のロゴマークがこんなところにも。

 

 

 

本館 南階段(1階~地下1階のデザイン)

インパクトのある重厚な階段。壁面には岐阜・大垣産の大理石「紅更紗べにさらさ)」が採用されています。大垣市北部の赤坂町にある「金生山きんしょうざん)」で採れたもので、現在では石炭採掘による山の破壊で採取不可能となった、大変高価で貴重な大理石だそうです。目にも鮮やかな床タイルは赤絨毯をイメージしたものでしょうか。地下へ入る部分の踊り場の梁の低さにも注目。

 

 

 

地下1階の階段脇にある、倉庫と思われる鉄扉も、絶妙な色合いといい、落とし込み(?)デザインといい、素晴らしいアクセントになっています。赤いタイルは1階まで、大理石「紅更紗べにさらさ)」は2階まで採用されています。

 

 

本館 東階段(8階~3階のデザイン)

丸栄本館の館内にある階段は、基本、下のフロアに行くほどデザインが重厚になっていきます。この「東階段」は、3階から上の手すりには、持ち手に木を曲げ、艶出し加工したものを採用し、折り返し地点の鉄柵部分には曲線を組み合わせたデザインで変化をつけています。

 

 

本館 東階段(3階~2階のデザイン)

3階から2階にかけては、階段の腰壁が石造りに変わり、重厚さが増してきます。折り返し地点で手すり部分のデザインが変わるのも面白いです。

 

 

本館 東階段(2階~1階のデザイン)

さらに2階から1階にかけては、南階段同様、大理石「紅更紗べにさらさ)」が出現。圧倒的な風格です。

 

 

 

日が暮れてくると、中の照明で東階段の位置がよくわかります。

 

 

本館 西階段(3階以下に紅更紗)

3階から2階に降りる途中の広告スペース。このとき偶然掲示されていたダークでサイバーチックな印象のポスターが、紅更紗の織りなす模様と良くマッチしています。また、背景の白い壁に暖色のスポットライトが大変良いアクセントとなり、紅更紗が放つシックなイメージをより一層引き立てます。

 

 

 

表面の欠けた部分もまたご愛嬌。大理石の質感が伝わってきて良いものです。

 

 

 

そこそこ新しそうに見えるテレホンカード販売機ですが、105のフォントが昭和チック。

 

 

 

店内の誘導灯はすべてピクトグラムタイプのものに交換済みで、扉のステッカーとして残る「文字だけ非常口」。

 

 

かつての屋上にケーブルカーやモノレールが存在!?

 現地掲載 1970(昭和45)年12月26日 中日新聞夕刊 

いつ頃まで存在したのかは不明ですが、丸栄本館屋上にかつてあった屋上遊園地には、懸垂式モノレールが走っていたようです。また、これとは別にケーブルカーが通っていたとの情報もあり、上の1970年当時の本館イラストを見ても、「丸榮」の看板あたりに、確かにそれらしき描写があります。

まちかど逍遥 名古屋近代建築観察会 後編

屋上モノレールの支柱跡や、機械棟内部の貴重な写真が掲載されています。

 

mitakeつれづれなる抄

かつて屋上にケーブルカーが存在していたとの情報。

 

 丸栄のあゆみ パネル展で流された モノレールの映像

定員は15人ほどでしょうか。パネル展で配布されたリーフレットにも、モノレールの描写がありました。搭屋の一番高い部分よりもさらに高く、屋上とはいえ、かなり高い位置を走っていたのがわかります。

 

 

他にも、ゴーカートやボート状の乗り物も。デパートの屋上遊園地にしては結構な充実ぶりです。近隣の栄三越にある屋上遊園地にも引けを取らず、商業施設らしからぬ本格的なモノレールは今見てもかなりのインパクトがあります。末期の丸栄本館は、屋上遊園地からビアガーデンへと姿を変え、ビアガーデンもまた、ビルの建て替えによって各所で数を減らしつつあります。流行の移り変わりは本当に早いもので、小売業の難しさが垣間見えます。

 

 

 

集客のため、屋上遊園地の整備、ギャル文化の発信、訪日客向け専門店の誘致など、さまざまな試行錯誤を続けながら、栄を代表する大型商業施設の1つとして、最後までその役割を全うしました。丸栄の店舗は営業を終えますが、法人としての丸栄は今後も残り、外商部門も存続されます。

 

 

 

今後、丸栄発祥の地がどのように生まれ変わるのかが非常に気になるところ。丸栄の色を払拭するのではなく、これまで築いてきた丸栄の文化と、他都市の再開発を参考に生み出した次世代コンセプトをうまくブレンドした街づくりを行ってほしいと思います。丸栄と共に人生を過ごしてきた人たちも、再びこの地に集えるように。75年間、本当にお疲れ様でした。